鹿沼市議会 2022-09-08 令和 4年第3回定例会(第3日 9月 8日)
調査の結果、第1期工事に伴う調査と同様、鹿沼城の「障子堀」の一部が確認をされ、堀の上部の幅は8メートルから9メートル、底部の幅は5メートルから6メートルで、堀底を畝状に掘ってありました。 今回、確認ができた障子堀の面積は、約136平方メートルであり、第1期工事の調査では、約219平方メートルでありました。
調査の結果、第1期工事に伴う調査と同様、鹿沼城の「障子堀」の一部が確認をされ、堀の上部の幅は8メートルから9メートル、底部の幅は5メートルから6メートルで、堀底を畝状に掘ってありました。 今回、確認ができた障子堀の面積は、約136平方メートルであり、第1期工事の調査では、約219平方メートルでありました。
そして、鹿沼城、あれだけ大きな規模の城跡にもかかわらず、石碑がないということが非常に全国的に見ても珍しいということで、鹿沼中央ロータリークラブのほうで、「鹿沼城城跡」という石碑を建立するという事業を行いました。 それで、市長には、「鹿沼城跡」という、すばらしい字を書いていただいて、後世に残るような形になりました。
そして、戦国時代の鹿沼城以来、地域の政治の中心地であったこの地に建設をし、先人が培った歴史や文化も踏まえながら、将来にわたって「まちづくりの拠点」としていくことができるということにも大きな意義を感じております。 この間の市議会を初め、多くの市民の皆様のご理解とご協力に対し、改めて感謝を申し上げます。
今、議員のご指摘がありました『障子堀』の東側につきましても、遺構の確認を行っておりまして、この部分では、鹿沼城の廃城後に行われた掘削、整地、埋め立てなどの土地の改変、こちらと、明治期以降に掘られた水路、あと、ごみ穴などが確認されまして、遺構の可能性があるものについては、遺構の掘り下げを実施したというところであります。
専門家の意見につきましては、発掘調査を実施している中で、折に触れ、鹿沼市文化財保護審議会や栃木県考古学会などの先生方を初め、県内外の城郭研究者から、「小田原北条氏の北関東の最前線にあたる鹿沼城で障子堀が確認されたことは貴重である」とのご意見、類似した調査例や出土した遺物の年代などについて、ご指導をいただきました。
鹿沼城は決して、一般的なお城は小高い山の当然高台に城は建てられるわけでございます。なぜかというと、敵の攻撃に対して、領主や市民を守るために、見晴らしのよい場所にその拠点をつくっているのですね。当時としては、今の防犯カメラと同じような働きもしていたのではないかと思います。佐藤市長も鹿沼市民を守る立場だと思います。
例えば、鹿沼城が云々という話も以前から出ていますけれども、では屋根の一部をその鹿沼城に似たものをつくれば、そういったイメージにもなるのではないかなと思うわけでございます。あくまでも今の段階では、テニスコートの土地をぜひ活用していただきたいという、そこを、私がお願いしているのは、活用していただきたいと、市長再々答弁はありますか。何かあればコメントをお願いしたいのですけれども、大丈夫ですか。
における特定の個人を識別するための番号の利用等に関 する法律施行条例の一部改正について 議案第111号 鹿沼市税条例の一部改正について 議案第112号 鹿沼市有財産の交換、譲与、無償貸付等に関する条例の一部改正につい て 議案第113号 鹿沼市建築審査会条例の一部改正について 陳情第 1号 関東・東北豪雨における災害復旧について 陳情第 2号 平成の鹿沼城
における特定の個人を識別するための番号の利用等に関 する法律施行条例の一部改正について 議案第111号 鹿沼市税条例の一部改正について 議案第112号 鹿沼市有財産の交換、譲与、無償貸付等に関する条例の一部改正につい て 議案第113号 鹿沼市建築審査会条例の一部改正について 陳情第 1号 関東・東北豪雨における災害復旧について 陳情第 2号 平成の鹿沼城
財産管理費の減額につきましては、庁舎等施設整備事業費において、新庁舎建設予定地の建築面積約2,000平方メートル内の埋蔵文化財包蔵地である鹿沼城址、鹿沼城の跡でありますが、の試掘3カ所及び本調査並びに地質調査4カ所の業務委託費790万7,000円と消耗品等の需用費2万円を計上しておりましたが、新庁舎整備事業の延期の決定を受け、全額を減額するものであります。 以上で答弁を終わります。
町役場、登記所が今宮神社を隣にして、鹿沼城のふもとにあります。古来より鹿沼市の中心はこの地、鹿沼城にあるのです。鹿沼市の核となる施設は、この地を離れてはいけないと思います。この地を拠点として、昭和23年に鹿沼町は鹿沼市となり、昭和29年、昭和30年に菊沢村など9村を合併し、平成18年に旧粟野町を吸収合併しました。
特に1500年代、戦国時代と思われる堀跡は、幅4メートルから5メートル、深さが2メートルから3メートルもあるもので、当時使われていたかわらけという素焼きの杯や内耳土器と呼ばれる現在のおなべ類などが数多く発見されており、戦国時代の鹿沼城を知る上で大変貴重な発見であり、現在すべての発掘調査を9月末までに終了する予定で進めているところであります。
これが地形的なものなのか、昔の鹿沼城の跡なのかはよくわかりませんけれども、大きな差があったということであります。 それで、今後これからの工事は、先ほど答弁しましたように、これから上に上がっていく工事で、附帯工事、基本的にいえばボックスの工事ですので、順調に進むかなというふうに思っております。